2月23日
今日は春一番が吹き荒れた激しい1日だった。年度末の確定申告のため例年通り伏見税務署へ出かけたところ、途中で何度も帽子を吹き飛ばされそうになって大いに慌てた。今年の冬は例年にくらべて一段と寒かった所為か、春一番の到来はやはりなんとなく嬉しい気持になる。気がつけば、周囲のあちこちで梅の蕾がほころび始めているし、蝋梅などはすでに満開だ。毎日通りすがりに見ているのにどうして気付かなかったのだろう。春一番の訪れではじめて春を感じるなんて、季節の移り変わりへの印象は微妙なものだ。
昨年の春一番の訪れは2月16日だった。だから今年はちょうど1週間遅い。なぜ昨年のことを覚えているかというと、「春一番の訪れた日に」という京都市長選挙の総括文を翌日17日のホームページで発表したからだ。投票日から4日後の2月12日に出した「天気晴朗にしてさわやか」に続く第2弾の総括文だった。寒風の中の選挙戦の残滓をすべて吹き飛ばすような激しい春の突風を窓辺に感じながら、数十枚の原稿を一気に書き上げたことをまるで昨日のように覚えている。
あれから1年の月日は短いようで長かった。いや逆に長いようで短かったというべきかも知れない。おそらく本当のところは、そのどちらの感想も成り立つような複雑な時間の経過だったのだろう。それは市長選という一大政治イベントの後遺症の所為だとも言えるし、またこれからの自分の進路を見定めるためのモラトリアム期間だったからとも言える。自分なりにいろんな可能性と選択肢を考えての1年間だったのだ。
不思議なことに、私は自分の人生の選択をめぐってこれまで一度も知人や友人に相談したことがない。もしあったとしても、それは自分で決意した後の確認作業だったと思う。奈良の田舎の中学校から大阪の高校を受験したときもそうだった。大学や学部学科の選択も全て自分ひとりで決めた。研究者への道は指導教官の勧めによるものだが、大学院進学とそれを支える生活条件は自分で確保する他はなかった。京都大学を離れて京都府立大学へ移ることも、定年を待たずして学長任期終了とともに京都府立大学を退くこともすべて自分の判断だった。そして今回の京都市長選の出馬についても要請を受けた段階で即座に決意した。
だから、私の辞書には「後悔」という文字がない。ベストを尽くすためにやったことであり、しかもそれがすべて自己責任・自己決定だから後悔しようにもしようがないのである。また後悔しても時間は戻らないから、そんな非生産的なことはしても仕方がないと割り切っているのである。そんな私の性格を知っているからか、市長選後は誰からも今後の進路についての問いかけがなかった。どうせ自分で決めるのだから、言っても無駄だろうとみんなが考えていたに違いない。
でも、昨年の4月から龍谷大学で非常勤講師を務めるうちに、やはり自分に向いているのは大学での研究・教育だと改めて感じるようになった。それも従来のような特定分野に限定した専門研究者という役割もさることながら、広く社会に対して発言できるような深い学識に裏打ちされた研究者像に次第に魅力を覚えるようになったのである。この1年間のさまざまな社会活動やホームページを通しての執筆活動が、その想いを後押ししてくれたことは間違いない。
こんな想いが通じたのか、龍谷大学の法学部教授会が再び私を4月から教授会メンバーとして迎え入れてくれることになった。稀有の事態というべきだろう。私としては就任の日まで伏せておくつもりだったが、過日の市長選シンポジウムで富野教授が図らずも公開されたので多くの方の知るところとなった。宗祖・親鸞上人を頂く慈悲深い龍谷大学に心からの感謝を表したい。そして自分に残された全ての時間とエネルギーを龍谷大学での研究・教育生活と社会活動に捧げたい。