2月14日
私にとっての「シンポジウム・ウィーク」がやっと終わった。たまたま異なる企画が重なっただけの話しなのだが、出る方はひとりの生身の人間なので準備や気持の切り替えが大変だった。それにインフルエンザの影響もあって体調が凄く悪かった。ひょっとすると暗い顔をしていて、参加者の方にに悪い印象を与えたかも知れない。申し訳ないことだ。日頃の健康管理の大切さを今更ながら痛感した。
「憲法9条を守る市民の輪を伏見で広げよう」との12日の集い・シンポジウムは、伏見桃山丘陵の麓、宇治川観月橋のほとりの日本基督教団世光教会で開催された。京都には観月の名所が沢山あるが、宇治川と巨椋池(現在は干拓農地)が眼下に広がる伏見桃山丘陵一帯は、すでに平安時代から景勝の地としてまた観月の賞地として有名だった。平安貴族の多くが山荘を構え、鎌倉時代には持明院統の御所(伏見殿)が「指月」と呼ばれる台地に造営された地だ。その「指月」の一角に世光教会があるのである。
シンポジウムのパネリストが決まって驚いたのは、3人のパネリストがいずれも私自身と深い関わりがある方ばかりだったということだ。世光教会の木安透牧師は世光保育園の園長も兼ねておられるが、この保育園は30数年前に私が娘を毎日自転車に乗せて通った場所なのだ。手塚先生はその娘が伏見で一番古い下板橋小学校で教えていただいた先生、それにお嬢さんが私の息子と府立桃山高校の同級生だった(当日も会場でお会いした)。田中教授は龍谷大学法学部の元同僚で父君が蜷川知事時代の京都府の幹部だった人、京都府立大学時代には父君にも大変お世話になった。まだある。シンポジウムの呼び掛け人代表として挨拶をされた中川教授(花園大学)は、以前同じ下板橋団地に住んでいて息子同士がクラスメートだった。「京都は狭い」というか、「伏見が狭い」というか、とにかく地元にこだわって企画された今回のシンポはまるで同窓会のような雰囲気となった。
3人のパネリストの話がそれぞれよかった。田中教授は専門の国際法の視点から、いかなる理由であれ戦争そのものを違法とみなしつつある現在の国際法上の考え方に照らして、日本国憲法がその頂点の存在であるとの考え方を披露された。手塚先生は最近伏見のある小学校で戦争体験についての授業をしたときの経験談から、小学校6年生ともなるとしっかりと戦争についての理解力が形成されていることを話された。木安牧師は平和憲法はキリスト教も精神に合致するといわれ、靖国神社参拝を梃子とする国家宗教化への動きに対してハンガーストライキで闘ってきた自らの体験を語られた。平和憲法の持つ世界史的な意義とこれを壊そうとする改憲勢力の対決構図が明らかになった瞬間だった。
しかし問題もある。それは140名近くにも達する参加者の中で若者の姿が1割にも満たなかったことだ。呼びかけ人が中高年齢者に偏っていたこともあるが、それにしてもあまりにも少ない。また若いお母さんの姿もほとんど見かけなかった。3連休の中日ということもあって若い人たちには出にくい事情があったともいえるが、やはりこれでは運動は広がらないというべきだ。次回の企画での大きな宿題となった。
たまたまシンポ当日の朝、朝日新聞に全国各地での憲法9条の会の広がりを紹介する記事が大きく載った。京都各地でも同様の会が続々と生まれている。「伏見でもなぜ9条の会を結成しないのか」との声も聞かれる。だが、私たちはまだ結成に踏み切っていない。それは伏見には9条の会以外にも憲法擁護のさまざまな会や動きがあり、それらが共同して大きなうねりを起こそうとの努力を互いが重ねているためだ。憲法9条をめぐる今回の対決はまさに「戦後政治の総決算」であり、「21世紀の国家戦略」を左右する天下分け目の大決戦になることは間違いない。保守・革新を超え、思想信条を問わず、国民の過半数の世論を獲得することなしには勝ち目のない闘いなのだ。そのためには拙速にとらわれず、まさに「地を這う」ような動きが求められる。「ローマは1日にして成らず」というが、「憲法擁護も1日にして成らず」である。