2月8日
 
  (前日からの続き)このことと関わって第2の論点に移ろう。それは、わが国の災害時の法制度は「災害救助法」や「災害対策基本法」などはあるが、被災者や被災地の生活再建や生活復興に関する「災害復興法」が完全に欠落しているということだ。

  災害救助法は1946年南海地震の翌年の1947年に制定された。しかしその趣旨は「(第1条)この法律は、災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体及び国民の協力の下に、応急的に必要な救助を行い、災害にかかった者の保護と社会の秩序の保全を図ることを目的とする」とあるように、あくまでも被災者の応急救助と被災地の社会秩序の保全が目的であって、当初から被災者の生活復興対策は全く考慮されていない。災害救助法が関東大震災当時の騒乱状態を念頭に置いてつくられた「災害治安維持法」だといわれる所以だ。だからこの法律では避難所は1週間以内の開設しか予定されていないし、応急仮設住宅の規模や設備は文字通り住むにたえない「仮小屋」程度の水準でしかない。救助の種類の中に「生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与」という項目もあるが、施行令や施行細則では事実上死文化していて適用されていない。

  また1958年の伊勢湾台風を契機にして災害予防や復旧を含めた総合立法の必要性が強く指摘されたが、1961年に成立した災害対策基本法は災害発生後の防災会議や災害対策本部などの組織と運営に関する項目が中心で、復旧・復興対策は公共インフラ施設の再建に限定された。どこを探しても被災者の生活再建や復興まちづくりの視点は出てこないのだ。目立つのは「災害治安維持法」の発想に連なる国家視点からの被災地危機管理体制に関する項目だけである。

  それから30有余年後、阪神・淡路大震災が勃発して膨大な建物や住宅が倒壊し、多数の痛ましい犠牲者が出た。そしてその後の生活再建・住宅再建に対する被災者や支援者たちの血の滲むような努力と運動の積み重ねの中で、やっと「被災者生活再建支援法」(議員立法)が1998年に成立した。だが当初の国の生活支援金は最高100万円というスズメの涙のような額に過ぎず、政府は住宅再建支援を「個人財産の形成に税金は使えない」との理屈でいまだ頑なに拒み続けている。片山鳥取県知事の英断によって地方自治体レベルでは住宅再建支援制度が実現した現在においてもそうである。つまり災害は稀にしか来ないし、来たとしても国が応急対応した後は被災者の自力再建・自力復興に任せればよいとの考え方が未だに続いているわけだ。まさに「天災は忘れた頃にやってくる」のであり、国民は「喉元過ぎれば災害を忘れる」と考えているのである。

  だが現実は政府や官僚の姑息な思惑をはるかに超えて先に進む。災害が忘れないうちにやってくるようになり、前の災害が終わらないうちにやってくるようになると、国が応急対策だけで後は国民に任せればよいといった(屁)理屈はもはや成り立たなくなる。災害が「天災」でなくなり、「非常時」が日常時に近づきつつあるような事態が生まれてきたのである。おかしな表現だが、最近では「事前復興」という言葉までが学会や自治体で使われるようになり、災害予防のための日常的な対策が重視されるようになってきたのである。

  この「応急救助」から「事前復興」への国民レベルの災害観・防災意識の転換はきわめて重要だ。日本の災害対策史上の歴史的転換点だといってもよい。ここで第3の論点が浮上する。日常的な「事前復興」を担う主役はいったい誰かということだ。それは国でも地方自治体でもあるまい。いうまでもなく生活者である住民・市民そのものではないか。住民主体の「安心・安全のまちづくり」として災害予防対策が取り組まれたとき、「事前復興」が住民の手でコミュニティレベルで意識的に追求されたとき、そして国や地方自治体がこれら住民主体のまちづくりに対して支援体制を組んだとき、はじめてこの課題は成功するといえるのではないか。「事前復興」というキーワードがこのような新しい時代の登場を予言していると考えるべきなのだ。

  こうした観点からみるとき、日本の都市と農山漁村を通貫する災害対策上の際立った弱点が浮かび上がってくる。それはわが国の中央集権的機構のもたらす一極集中型の国土・大都市構造の災害脆弱性であり、市町村合併の強行にともなう過疎地域の恐ろしいまでの防災力の衰退だ。阪神・淡路大震災では兵庫県・神戸市に代表される中央集権的行政機構の矛盾と脆弱性が白日の下に曝されることになった。全ての権限が県庁や市役所に集中している行政機構の下での応急救助対策は全て後手後手に回らざるを得なかった。被災者の避難所への誘導、災害救助物資やボランティアの受入れ、負傷者の搬送あるいは緊急車両の交通整理ひとつを取ってみても、災害現場に直面する市町村や区役所が裁量権限を奪われて自主的な判断能力を失った結果、職員に深刻なモラルハザードが発生して指示待ち状態が常態化したからだ。また応急仮設住宅の入居をめぐって現場を知らない官僚が画一的な高齢者優先入居にこだわった結果、被災地のコミュニティが寸断されて高齢者が孤立し孤独死が続発するといった事態も発生した。

  一方京都府北部の風水害においては、中山間地域・過疎地域の災害問題の深刻さが一段と明らかになった。それは市町村合併で広域化した地方自治体では、もはや地域防災力が衰えて災害時の応急救助さえもままならなかったという事実である。舞鶴市に合併した周辺地区では救援物資も避難勧告も円滑に届かなかったし、救助体制の全てを集落の消防団に頼る他はなかった。また首長・議会・職員のモラルハザードや公務意識の崩壊も深刻だった。広域再編によって災害現場での対応が不可能になった京都府土木事務所、京都府からの防災情報の意味を理解できずに住民に避難勧告しなかった市町村の無能・無責任体制、緊急時に役場を離れて居場所が分からなくなった首長など、その例は枚挙の暇もない。市町村合併にともなう過疎地域の社会的淘汰は、人口減少・少子高齢化に基づく地域コミュニティの崩壊、地域防災力の低下、そして凄まじいばかりの自治体行政の荒廃をもたらし、災害時には「棄民政策」のレベルにまで達していたことが判明したのである。

  こうした状況を克服し、安心・安全のまちづくりを進め、「事前復興」を追求するためには、なによりもそれを担う地域コミュニティの復活と再建が必要だ。大都市においても過疎市町村においても分権・分節のまちづくりこそが災害から住民をまもる基本用件なのだ。災害が常態化し日常化するような状況の下では、日常のまちづくりこそが最大の防災対策であり、地域の持続的発展を保障する道なのである。ハードな土木事業だけでは地域をまもれなくなった。国の危機管理体制も地域コミュニティの防災力と連動しなくては効果を発揮できなくなってきた。結局、都市や農山村をまもるのは住民・市民であり、地域コミュニティなのである。