1月24日
最近、NHKのニュース番組を見るのがだんだん嫌になってきた。従軍慰安婦問題に関する番組作成の過程で、安部晋三・中川昭一議員にNHK幹部が(呼びつけられたのか出向いたのかは知らないが)説明に行き、その直後に番組内容が細切れにされてしまった一件に関してである。朝日新聞がNHK関係者と両議員に取材して書いた記事が「誤報」「虚偽」「捏造」だというのだ。しかもそれを当事者であるNHKが客観報道のごとく「ニュース」として流すのだから困ったものだ。
私はもともとNHKしか見ない偏った視聴者だった。民放にくらべてNHKの報道番組と教育番組の水準が格段に高かったからだ。それにのべつ幕なしに割り込んでくる民放のコマーシャルが嫌いだった。「コマーシャルがない」というだけでNHKを選局していたのかも知れない。しかしそのNHKの看板番組が傷つけられ、おまけにニュース報道までがおかしなことになってきたのだから、長年のNHK愛好者としてもこの際考えないわけにはいかなくなったのである。
今度の一件で納得できないのは、NHKがニュース番組の中で自分の言い分だけを一方的に流していること、問題の本質である従軍慰安婦番組の改ざん問題には全く触れないで、安部・中川両氏やNHK幹部への朝日新聞の取材方法に的を絞って非難していること、そして自民党の要職にある安部・中川両氏と一体となって朝日新聞を攻撃していることの3点だ。
ニュース番組にしろ特別番組にしろ意見が対立している場合は、関係当事者の主張を公平に取り上げることが大原則だ。とりわけ今回の場合は、NHKの担当ディレクターが記者会見までして政治介入の可能性について証言しているのだから、当然彼の主張を取り上げなければならない。またどちらの主張が正しいかの参考材料として、4年前の教育番組『戦争をどう裁くか』のカット前とカット後の両方の番組を再放映して視聴者の判断を仰ぐことが必要だ。そうすれば「結果として」どんなことが起こったかが一目瞭然になること間違いなしだ。
ところがNHKニュースはそのような肝心の部分には全く触れないで、「誰といつ会った・会わなかった」「こんなことを言った・言わなかった」との取材をめぐるやりとりに矛先を集中している。これはおそらく問題の本質を取材方法に矮小化して泥沼化に持ちこむための作戦だろう。そしてその中で政治介入した張本人たちを、あたかも取材トラブルに巻き込まれた被害者のように仕立て上げる魂胆なのだろう。だが、このような視聴者を馬鹿にしたシナリオは決して成功しないだろうし、また手痛いしっぺ返しを早晩食うことも確実だ。
考えてもみたい。国民の負担で支えられている公共放送が国民に背をむけて、いったいどうしてこれから放送を維持していけるというのか。すでにNHKは紅白歌合戦の担当ディレクターの経費詐欺やソウル支局長の使い込みなどで大きく国民の信頼を失っている。受信契約を拒否する視聴者が日に日に増えてきているからこそ、さすがの海老沢会長も辞任せざるを得なくなったではないか。でもこれらの不肖事件は、言葉は悪いが「コソ泥」程度の事件であり、低次元の「破廉恥罪」にすぎない。しかし今回の一連の事件は、検閲を禁止した憲法と政治的中立を規定した放送法の根幹を揺るがす大問題なのだ。いわばNHKの存立にかかわる重大問題なのである。にもかかわらず、NHK幹部が口をそろえて居直ったところに問題の深刻さがある。
私はかねてからNHKの政治番組に深い疑問を抱いていた。「日曜討論」然り「ニュース解説」然りである。与党に露骨に擦り寄る司会者やしたり顔の解説者の顔をみていると、思わず虫唾が走るというものだ。こんな番組を見るたびにどうして受信料を払わなければならないのかといつも思っていた。でもコソ泥程度の事件をきっかけにして契約解除するのも大人気ないと考えていたので、受信料を払い続けてきた。しかし今回は違う。NHK幹部がいまのような憲法と放送法違反の態度を改めなければ、もはや公共放送としての存在価値を失ったと考えざるを得ない。心ある人々もきっとそう感じているに違いない。
とはいえ、土曜日のサンケイ系テレビの憲法番組は本当に酷かった。特大の日の丸を背にして、中曽根元首相・石原都知事・竹村健一という「極右三羽烏」が九条改憲をめぐって言いたい放題の番組だ。石原氏はその中で現行憲法を意図的に「旧憲法」と呼び棄て、すでに改憲済のようなスタンスで話をしている。また番組のナレーションでは中曽根氏は改憲を悲願とする「憂国の士」なのだそうだ。こんな民放や商業放送を目の当たりにすると、NHKが本当に「みなさまのNHK」として立ち直ってくれることを願わずにはいられない。NHKさん頑張ってください。