1月11日
今年も数百通を上回る沢山の年賀状をいただいた。なのに、私は一通もお返ししていない。暮れのつれづれ日記にも書いたように、今後の方向が固まり次第、改めてご挨拶するつもりなのだが、それでもなんだか不義理をしているようで申し訳なくて心苦しい。そんななかで、とりわけ印象の深い京都山科の永井好子さんという80歳近い女性からいただいた手紙のことに触れたい。
永井さんは「京都ハルビン会」のお世話をしておられる生粋の「ハルビンっ子」だ。自分では「ハルキチ」とも言っておられる。気が狂うほどハルビンが好きだという意味である。旧満州(中国東北部)のハルビン市で育ち、青春の日々を送り、そして日本の敗戦後に命からがら内地に引き揚げてこられた方である。そんな方々が幾多の思い出を込めて京都ハルビン会をつくっておられる。高齢者が多いので連絡一つをとってみても大変な負担になると思うのだが、それでも折にふれて集まっておられるのだという。
永井さんから最初の手紙をいただいたのは、今からちょうど1年前のことだった。たまたま市長選に関する新聞記事の中で、私の出生地がハルビンと紹介されていたのを目をとめられ、懇切なお手紙をいただいたのが始まりである。そして市長選直後の2月26日には集まれる人だけ(9人)ということで、京都で昼食会を開いて下さった。私が南崗街の満鉄官舎に住んでいたというと、みなさんがとても懐かしがって話が弾んだことが記憶に新しい。そのときにいただいたのが、『ハルビンの想い出』(京都ハルビン会発行、1973年)、『ハルピンの詩』(小畑著、原書房、1984年)、『ハルビン新宿物語〜加藤登紀子の母、激動の半世紀』(石村著、講談社、1995年)、『回想のハルビン〜ハルビン桃山小学校創立90周年記念誌』(90周年記念同窓会、1999年)など数々の書物である。これらの本によると、歌手加藤登紀子さんの父・幸四郎氏と私の父は満鉄にほぼ合い前後して入社しており、長男幹雄氏と私は同年に生まれている。
去年のことはさておき、今年の永井さんの手紙は1月23日に開かれる「関西桃山新年会」へのお誘いである。ハルビンにはこれまで6つの日本人小学校があると思われてきた。桃山小学校(1909年創立)、花園小学校(1939年)、白梅小学校(1941年)、桜小学校(1943年)、三果樹小学校・若松小学校(1945年頃)である。ところが驚いたことには、ハルビンにはもう一つの小学校があったことがごく最近になって判明したというのである。それはかの悪名高い731部隊(関東軍防疫班として設置され、中国人や朝鮮人の人体実験を行った細菌戦部隊)の中に設置されていた東郷小学校の存在である。
今年は戦後60年、人間でいえば還暦の年だ。にもかかわらず、ハルキチといわれる人たちの間でさえこれだけ長期にわたって存在すら知られなかった小学校があったとは驚き以外の何物でもない。きっと731部隊の存在と同様、秘匿するための厳重な緘口令が敷かれていたからではないか。また関係者家族にとっても、731部隊への所属は口が裂けても口外できない恥ずべき事実であったに違いない。幼い子どもが自分の小学校すらを口外できないほど、戦争というものは残酷なものなのだと改めて思わずにはいられない。
私は父を失って開戦直前に実家に引き揚げた。だからハルビンの小学校には入学も卒業もしていない。でも永井さんたちは私を桃山小学校の同窓会に呼んでくださるという。嬉しいことだ。そういえば、今年の同窓会には加藤幹雄氏(登紀子さんの兄)も参加されるそうだ。私と同年の加藤氏も桃山小学校の出身ではなく白梅小学校に4年生まで在籍されていたとのこと、要するにハルビンに何らかの関係があれば集まるということらしい。会っていったいなにを話そうか。