1月7日
2005年最初の「つれづれ日記」をいったいどんな話題からはじめようかと随分迷った。それほど年末から年始にかけてのこの2週間は地球規模での大事件の連続だったのである。「驚天動地」という言葉があるが、暮れのスマトラ沖大地震・大津波はまさにそれを上回る未曾有の大災害となった。また1月末の「選挙」を目前にして、イラクではますます戦争状況が激化している。イラク国民の苦痛はもとより、日を追ってアメリカ軍兵士の犠牲者も増えつづけているというのに、どうしてブッシュは平和への道筋を探ろうとしないのか。
こんな暗いニュースが溢れている中では、正直にいって、今年ばかりは新春を迎えるようなすがすがしい気持ちになれなかった。でも、無限に続く時間の流れを自然の移り変わりに合わせて節目を付け、新しい社会状況を生み出すために人心の一新を図るという人類の偉大な発明が「暦」(こよみ)なのだから、どれほど悲惨な事態が続いていたとしても、やはり新年は新年だけの価値あるものとして受け止めなければならない。こんな気持ちで初詣に出かけたのが、薬師寺・唐招提寺・法隆寺である。
私にとっての初詣の場所はなぜ奈良の寺院なのか。奈良へ行くのはここ10年ほどの習慣だが、これまではその理由を余り深く考えたことがなかった。しかし人影まばらな境内を歩きながら感じたことは、日々激動する情勢に一喜一憂して翻弄されないためにも、ときには悠久たる歴史の流れの中に身を浸して自分を客観視することの大切さだ。数え切れないほどの災害や戦乱の中を潜り抜けてきたこれら寺院の前に立つと、時間時計が一瞬止まったような気がして全てを忘れることができる。和辻哲郎が薬師寺東塔を「凍った音楽」と形容したが、千年を超える建築物や仏像などは、私にとっては「歴史時間の結晶」そのものだ。
また、寺院一帯の歴史的環境も「歴史空間の結晶」そのものだといえる。そこに身を置くだけで例えようのない感動を与えてくれる。毎年訪れているにもかかわらず、そこには必ず新しい発見がある。唐招提寺の鑑真和上の墓地は墓石だけで周辺には何もない。土塀に囲われた広大な樹林地が広がっているだけである。しかしその荒涼たる空間が鑑真の生きた時代の厳しさを感じさせる。法隆寺の西円堂は境内の小高い一角にある。観光客が滅多に訪れることのない場所だ。しかしそこに立つと、大和三山が手に取るように眺望できる。古代国家の覇権を争った飛鳥と斑鳩がほんの僅かばかりしか離れていないことが実感できるのである。
千年の時空間に比べれば一瞬の時間でしかないが、今年の2月で2004年京都市長選から1年目を迎える。たまたまともに選挙を闘ってくれた人たちと新年の会合を持った昨夜、2月9日(水)夜に「京都市長選、あれから1年」というシンポジウムを開こうとの企画が急遽決まった。具体化はこれからだが、場所はハートピア(烏丸丸太町)を押さえた。つれづれ日記の読者には一人でも二人でもいいから来てほしい。また改めて案内をします。