11月18日
今度の会議では、その前後にオランダの都市を幾つかハシゴして見て回った。大都市ではアムステルダム、ロッテルダム、中都市ではハーグ、ユトレヒト、小都市ではライデン、デルフト、エダムなどである。アムステルダムの高層住宅団地の再生プロジェクト研究で学位を取った角橋氏の紹介で、オランダの建築や美術に詳しいアムステルダム在住の奈良氏にガイドしてもらったのである。
都市を観察する場合、「何を見るか」という問題意識が明確であればあるほど成果が上がることはいうまでもない。しかし今回は時間も限られていたので、「丸ごとウオッチング」に徹することにした。言葉の聞こえはよいが、要するに手当たり次第にまちを見るだけのことだ。都市の規模にもよるが、地図と磁石を持ってただひたすらに街を歩くのである。もちろん幾つかのお目当てはある。その近くまでは連れていってもらい、後は一定時間をとって気の向くままに辺り一帯を歩き回るのだ。
その中で改めて気づいたことは、都市というものは訪れる目的と季節によって随分印象が異なるということだ。私が初めてオランダを訪れたのは百花繚乱の5月の頃。当事の私はまだ30歳台の前半で、目的は路面電車の調査だった。2回目は住宅・都市計画会議への参加で40歳台半ばの夏。そして今回は60歳台半ばの晩秋である。まるで自分のライフステージに合わせて訪問する季節を選んでいるかのようだ。
率直な印象を述べると、実は今回の訪問が一番よかった。枯葉と落葉の季節であったせいか、街の表情が実によく見えた。街の構成要素である建物・敷地・道路などの関係、そこで営まれている市民生活の有様が手に取るように眼に映った。視線を独占する華やかな花もなく、また体力を消耗させる暑さからも解放されていたからであろう。ちなみにハーグでの会議は広大な庭園の中にある教会を改装した場所だったが、この場所でイブ・モンタンの「枯葉」を思い出したのは私ぐらいのものだったらしい。
オランダの都市と農村の特徴を一口でいえば、それは環境に対する心憎いまでのきめこまかな配慮であろう。山も丘陵地もほとんどなく、国土の27パーセントが海抜ゼロメートル地帯にあり、国土の半分は海と陸を隔てる堤防で防護されている。見渡す限りの平野は、まるで網の目のような運河で覆われている。この国の人々はデルタ地帯に移住して以来千年にわたって治水と格闘し、国土の1/3を干拓工事によって広げて来た。その中で生まれたのは、自然を征服するのではなく自然を大切にすることによって人間の生活空間をつくるという国土計画思想、環境を保全することが自然の脅威のコントロールにつながるという環境意識、安全で快適な環境をつくるには住民の平等・合意・連帯が必要だという住民協働の精神、そして都市や農村の美しい景観は豊かな環境の総合指標だとする景観思想などである。このことはまた、地球温暖化防止に対してオランダやヨーロッパ各国が熱心に取り組んでいる背景にもなっている。
このような都市環境はまた、人々のライフスタイルにも大きな影響を与えているようだ。それは住宅と周辺環境との一体的関係になによりもよく表れている。住宅ファサード(外部意匠)が街に対して様式・形態や材質・色調のうえで調和的であるばかりでなく、住宅の室内空間が前庭を介してほぼ完全に外に向かって開かれている。道路に面して例外なく大きな窓があり、その中の居間がカーテンで遮られることなく「丸見え」なのだ。住宅と市街地が相互に浸透し溶融しているのである。また大都市の都心部は別としても、それ以外の場所では夜間においても同様の光景が見られる。アムステルダム郊外の住宅地を夜に散歩したときのことだ。まるで高級ブチックのような佇まいの品のよい家具と照明器具にコーディネートされた室内が闇の中に浮かび上がっていた。おそらくは道端のテラスでお茶を飲む「カフェ文化」が住宅の中にも浸透していったものだと思うが、快適な環境と治安が市街地一帯にわたって確保されない限りなかなか真似のできる代物ではない。
こういうと誉めてばかりいるようだが、やはりどこの国にも弱点はある。私個人の評価からいえば、それは絶望的なまでに食事が不味いことだ。レストランに行くと、よほどの高級店でもない限り「遅い、不味い、高い」の三位一体感覚でどうしようもない気持ちに陥る。イギリスでも不味いことは同様だったが、これほど注文に時間がかかり、しかも値段が張ることはなかった。聞けば、ギルダーがユーロになってから物価は急騰したのだそうだ。便乗値上げなのかどうか知らないが、1ユーロ150円の交換レートで計算すると、学食クラスの昼飯で3千円から4千円もかかるとあってはたまらない。「もう二度と入らない」と毎回思ったものだ。
生活の豊かさにとって環境と食事は必ずしもトレードオフの関係にあるわけではないだろう。しかしどちらを取るかと言われたら、私はやはり「花より団子」を選ぶのではないか。ただしこの選択もオランダ人から見れば、発展途上的感覚だといわれるかもしれないが。