つれづれ日記
10月25日

  「歴史の偶然性」とは本当に恐ろしいものだ。一昨日の23日、ゼミの学生たちを連れて神戸市真野地区(長田区)のまちづくりの見学に行った。真野地区は、阪神・淡路大震災の発生時、神戸市の数ある被災地の中でも地域住民が果敢に猛火に立ち向かい(他の地域では住民はほとんどなすところなく呆然として立ちすくんでいた)、自力の消火活動によって多くの人命を救出し、大規模な延焼を食い止めた(唯一といってよい)地域として知られている。

  23日当日は、真野地区の震災対策本部のリーダーだった清水光久氏とまちづくりコンサルタントの宮西悠司氏から午後いっぱいかけて話を聞いた。彼らは震災発生直後から小学校体育館・地域集会所・地元企業体育館などの避難所をいち早く確保し、数日経たずして1日5千食の整然とした配給ルートを確立した傑出したリーダーたちなのである。平時のまちづくりだけではなく、非常時の危機管理においてもこのような見事な対応をとったまちづくり組織は寡聞にして知らない。そして焼失した市街地の復興状況を現地で説明してもらって帰途についたのが午後5時半過ぎ、JR新長田駅で電車の乗ったのは午後6時前だった。その頃から奇しくも新潟県では阪神・淡路大震災に匹敵する中越大地震が連続して発生していたのである(すでに専門家集団の「阪神・淡路まちづくり支援機構」でも支援活動の準備をはじめた)。

  真野地区は、三菱重工業・川崎重工業などの工場や造船所に連なる住宅・工場・商店が密集混在する典型的な下町だ。当時の真野地区は「公害のデパート」と称されるほど大気汚染や河川汚濁がひどく、幹線道路も未舗装で周辺一帯はホコリまみれ、真野小学校児童の4割がゼンソクに喘いでいるほどの劣悪な市街地だった。だが「神戸市の底辺」といわれたこのような地域で、住民たちの不屈の公害追放運動とまちづくり運動はまちを甦らせ、全国の「まちづくりモデル」となった。

  真野地区のまちづくりは、拙著『現代のまちづくりと地域社会の変革』(学芸出版社、2002年刊)の中でも「日本最長のまちづくり」として紹介しているように、1960年代の半ばから始まり、来年で40年目を迎えるわが国屈指の「持続的まちづくり」である。私が真野地区を初めて訪れたのは確か30数年前の1968年、傑出したリーダーだった毛利芳蔵氏(故人)が住民たちに「まちづくりとはなにか」を理解させるために開いた「まちづくり学校」の講師としてだった。以降30数年にわたって「エンドレス」のまちづくり交流が続いている。

  真野地区のまちづくりに対しては、全国のまちづくり研究者・専門家が専門分野を超えて数多く支援している。なぜかくも多数の研究者を引きつけるのかといえば、それは真野地区が常に時代の先頭にたってまちづくりを展開してきたからだ。時代の先端を切り開く新しい「まちづくりコンセプト」を絶えず生み出してきたからである。高度経済成長時代に日本列島を襲った公害問題に対しては全国で激しい住民運動が発生したが、真野地区ではこれを単に「反対・追放」のレベルにとどめないで、その後に「実践・提案・要求」型のまちづくり運動へと発展させた。地域内の公害工場に対しては「追い出す」ことに主眼を置くのではなく、公害を減らして環境を改善し、雇用を確保する「住工共存の道」を模索した。不良住宅や低質市街地を一挙にスクラップ・アンド・ビルドするのではなく、時間をかけて住民合意を積み重ねながら漸進的に改善する方向を選んだ。ハードなハコモノづくりだけではなく、高齢者の入浴サービスや触れ合い訪問などソフトな福祉サービスも一貫して重視してきた。また包括的な地域住民組織である自治会・町内会を重視しながらも、その一方で果敢なまちづくり運動を推進する「ケンカのできる組織」を結成してメリハリの利いた重層的な住民組織を構築した、などなどである。

  こんな話を初めて聞いたゼミの学生たちにとっては、文字通り「目からうろこ」の連続体験だったらしい。「メチャ勉強になった」というのが、ゼミではつまらなさそうな学生も含めての全員の感想だった。見学の前には一応資料も読み、想定質問もつくって臨んだにもかかわらず、リーダーたちの話は学生たちの「想定をはるかに超える」ものがあったらしいのだ。大学の中では滅多に得られない貴重な情報が、しかも現場の当事者から臨場感あふれる形で展開するのだからこれほど効果的な学習機会はないだろう。改めて現場学習の重要さを確認した。

  11月3日の文化の日には、今度は「日本一の田舎づくり」を標榜する京都府の美山町へ見学に行く予定だ。美山町では目下市町村合併の是非をめぐって住民と町長が鋭く対立している。有権者の2/3の署名を集めた合併の是非を問う条例制定直接請求運動が山場を迎える頃だ。学生たちにはむらづくりの成果と当面する課題の両方について勉強してもらおうと思う。彼/彼女らの「目のうろこ」を沢山落としたい。