10月12日
秋の初頭をかざる10月9日からの私の3連休は、「但馬の小京都」といわれる兵庫県北部の城下町・出石町(いずし)でのまちづくりシンポジウムや見学でスタートした。日本住宅会議関西支部の地域セミナーが出石町で開催され、コーディネーターとして参加を要請されたのである。昨年の地域セミナーは、「日本一の田舎づくり」で知られる京都府美山町だった。そのときにもやはりコーディネーターとして参加したので、今年もということになったのだろう。
シンポジウム当日は土曜日で、もちろん町役場はお休みだ。なのに、町は奥村町長を先頭にまちづくり課長、企画係長、文化財係長などが総出で対応していただいた。役場の大会議室を(無料で)会場に使うことに便宜を図ってもらったばかりか、「伝統的なまちなみを活かしたまちづくり」と題する講演を文化財係長に引き受けていただき、おまけにシンポジストとして「出石城下町を活かす会」会長と「出石まちづくり公社」取締役にまでご登場願うという豪華版だ。これではまさに地元に「おんぶに抱っこ」のシンポジウムではないか。外から一方的に押しかけてきながら、果してこれほどの厚遇に甘えていいものか。とにかく住宅会議事務局の強腕ぶりには恐れ入る。脱帽だ。
話を戻そう。シンポジウムでは講演内容やシンポジストの発言に参加者一同強い感銘を受けた。なにしろ町を愛する心情に溢れる話だったからである。文化財係長のパワーポイントを駆使した講演は実に明晰だった。これまでの町のまちづくりへの取り組みを要領よく概観し、町の特徴と課題を分かりやすく解説してくれた。聞けば、町単独でいろんなまちづくり調査を十数年前から実施し、それを基に県や国の関連事業を導入して具体化するという方法で着実にまちづくりを進めてきたのだという。県や国の補助事業をもらう(ぶら下がる)ことから始まる通常のケースとは訳が違う。それに町長部局のまちづくり課と教育委員会の社会教育課の連携がすばらしいのにも驚いた。普通はほとんどが「犬猿の仲」だからである。シンポジウムでの質疑応答では上記の3人の課長・係長が組織を超えてリレー回答してくれたが、いずれも私が「3ピカ」と名付けたほどの優れた人材だった。
しかし、出石のまちづくりの源泉はやはり地元住民だ。なかでも「出石城下町を活かす会」を早くから結成し、20年近くにわたってまちづくり組織を育ててきた上坂卓雄氏の存在が大きい(現在は出石まちづくり公社取締役)。氏は直接的には観光業とは無関係の商店主だが、城下町とともに歩んできた旧家として出石に限りない愛着と誇りを持ち、どうすればこの町を活性化させることができるかを絶えず考えてきたのだという。きっかけは歴史的町並み保存運動に奔走する建築家や専門家たちと一緒に上坂氏たち住民が兵庫県最初の「歴史的町並みフォーラム」を出石で開催したことに始まる。それを契機に町は歴史的町並み調査に乗り出し(大学研究室に委託)、町家デザインマニュアルを作成し(まちづくりコンサルタントに委託)、都市景観形成事業を実施する(県と協力)という形で、活かす会と緊密なパートナーシップを組んできた。企画係長の言によれば、彼は上司よりも上坂氏と相談して数々のまちづくり事業を進めてきたのだという。
シンポジウムの翌日、お祭りで賑わう町を歩いた。確かに城下町としての歴史的環境や風情がよく保存され、しかもそれらが現代的に活用されているのが印象的だった。例えば、活かす会と町は連携して生糸卸商の町家を記念館として保存し、郡役場を博物館に変え、閉鎖された映画館を蕎麦道場に改造し、そして新しい路地をつくって観光スポットと商店街を結びつけるなど数々のアイデアを実現している。また現在は、戦前の芝居小屋を復元するという気の遠くなるような大事業に取り組んでいる。老朽木造の大きな建築物だけに修復工事は本当に大変だろう。
だが、私は活かす会の最大の功績として、当時は2軒しかなかった蕎麦屋(ルーツは転封した城主が信州から連れてきた蕎麦職人)を出石の食文化を担う戦略業種として育てた業績を挙げたい。出石の「皿そば」を目当てに(現在50軒)、いまや年間100万人の観光客が訪れるのである。こればかりは行政が逆立ちしてもできるものではない。蕎麦を打つ職人や店主自らが努力しなければどうにもならないからだ。自然環境・歴史文化・町並み・蕎麦を組み合わせたまちづくり戦略は「お見事」という他はない。
住民が主体となっているまちづくりは、それが自ずから「まちの表情」としてあらわれる。「観光地らしくない」のである。地域コミュニティがいきいきとして根づいているので、観光客と住民が解け合えるのだ。当日はお祭りだったので、区(町内会)単位に子どもと大人のだんじりが十数台出た。丸太木を組み合わせた素朴な神輿だ。多分、信州から伝えられたものだろう。区によって太鼓の叩き方のリズムが微妙に違うのだという。小さな子どもたちが引くだんじりを地域の人たちと観光客が一緒になって見守っている姿は微笑ましい。これからの主流は質的に高い都市文化観光であり生活文化観光だというが、まさにその先進例がここにある。
最後に本題に移ろう。実はこのまちづくり先進地である出石町は、来年3月に豊岡市に吸収合併されるのだ。昨年1月に発足した「北但合併法定協議会」の下で、豊岡市を中核都市とする1市5町(城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が僅か2年余りの「協議」で合併するというのである。兵庫県は全国でも市町村合併が最も強力に推進されている地域であるが、北但合併協議会は、人口(9万4千人)においても面積(698平方キロ)においても兵庫県下最大の合併規模である。なぜこれほどの大規模広域合併が必要なのか。
シンポジウムにおいてもその後の懇親会の席上でもこの話題は繰り返し語られた。しかし奥村町長や上坂氏から返ってくる答えは、「合併はすでに決まったことなので、それを前提にしていかにこれからの出石のまちづくりを進めかだ」というものだった。そしてそのための方針として、現在の「まちづくり公社(3セク)をもっと充実させることを検討している」のだという。でも、これだけの個性的なまちづくりの実績と資産を持ちながらなぜ合併しなければならないのか、私にはまったく理解できない。その事情はおそらく城崎町とて同じではないか。全国的にも著名な城崎温泉を擁し、温泉地の原型である「外湯」の伝統を守って成功をおさめてきた城崎町がなぜ合併しなければならないのか。これも私にはてんで分からない。
多分、本音は明かされていないのであろう。内心では合併反対でもそれを表に出して言えない何か別の事情があるのかも知れない。合併協議会から離脱するような政治行動を取れない特別の事情があるのではないか。これだけの優秀な役場の人材を持ち、住民もまた数々のまちづくり組織を有して活発なまちづくりを展開している自治体がむざむざと消えていくのは何とも惜しいかぎりだ。どうにかならないものか。こんな気持ちを上坂氏にぶっつけたら、「行政は行政でやってもらう。まちづくりは我々でやる」という答えだった。
「行政に頼るな」、「自立自助の精神が大切だ」、「まちづくりは住民の力で」等々の構造改革スローガンがいま日本中を覆っているが、まさかそれと同じような言葉を出石まちづくりのキーパーソンから聞くとは思わなかった。それほどまでに市町村合併イデオロギーは住民の心を縛っているのか。私は「役場は最大のまちづくり会社ですよ」と返したが、役場を失ったまちづくりの行方の厳しさについてはそれ以上言及しなかった。というよりは言及できなかったのである。
兵庫県下では革新首長も少なくないと聞くが、県下のどこからも「小さくてもキラリと光る自治体」を標榜する市町村が現れてこない。これは市町村合併そのものが行政水準の向上やまちづくりの推進にとって好ましいと見なしているからなのか、それとも任期を重ねても合併を拒否できるだけの主体と条件を作れなかったからなのか、どちらだろうか。「市町村合併の前にまちづくりは立ちすくむ」。これが私の偽らざる感想である。