つれづれ日記
9月24日

  最近、残酷な事件報道が相次ぐ中で、プロ野球再編問題がひとまず解決方向を見出したとの今朝のニュースは、久し振りに気の晴れる思いを与えてくれた。狭いローカル意識からではないが、京都の立命館大学出身の古田選手会長が冷静かつ沈着に事態に対応していたのには胸のすく思いがした。根っからの体育会系人間である私は、古田選手のように一流のプレイヤーでありながら優れた頭脳と判断力を持っているスポーツマンにはまったく頭が上がらない。オリンピックのゴールドメダリストの中にも記者会見への対応ぶりなどを見ていると、必ず「これぞ」と思う人物がいる。「文武両道」(古い言葉だが)というキーワードがまだ生きていることを実感する。

  私たちの少年時代と草野球との関係は切っても切れないものがあった。布製のグローブを作ってもらって(皮製品は高くて手が届かなかった)即席のチームを編成し、学校の休憩時間や放課後の時間をほとんど費やして暗くてボールが見えなくなるまで毎日熱中したものだ。そんな野球少年がいつの間にかプロ野球に興味を持たなくなった。いやだんだん嫌いになっていったと言った方が正確かも知れない。原因は、読売新聞と巨人軍である。

  私は率直にいって巨人軍の前オーナー「渡辺恒雄」なる人物がどうしても好きになれない。というよりは死ぬほど嫌いだ。個人的な好き嫌いの感情からではない。その思想と言動が粗野で傲慢かつファシスト体質丸出しの危険極まりない人物だからである。現在の日本では、石原慎太郎東京都知事と双璧をなす「ウルトラ右翼」だといってよい。しかも渡辺氏が単なる右翼イデオローグにとどまらないのは、公称1千万部というマスメディア・読売新聞を牛耳り、イラク派兵や憲法改正などを煽動して「社会の公器」であるマスメディアを私物化して日々政治的デマゴギーを垂れ流している点である。

  加えて、渡辺氏が巨人軍ひいてはプロ野球を読売新聞拡大の手段にしてきたことも大いに気に入らない。新聞の販売競争は記事水準や論説内容で勝負すべきであって、ナベ・カマの景品や巨人軍観戦チケットで読者を釣るものではあるまい。また金と権力にまかせて有力選手を独占し、テレビの野球中継は巨人軍ばかりだというのも白けることこの上ない。おまけに公共放送のNHKまでが巨人軍出身の松井選手(ヤンキース)を天まで持ち上げて、毎日ヒットを打った打たなかった程度の低レベルのニュースを流している(前人未到の記録に挑戦しているイチローは別格だ)。それほどNHKはニュースソースが不足しているのか。

  今回の球団再編問題は、当初は単なる経営リストラ問題だった。しかし球団をはじめマスメディアさえも私物化している渡辺氏が、まるで選手たちを「虫けら」扱いするような「たかが選手」との侮蔑的な言葉を言い放った瞬間から、この問題は一挙に社会問題化した。小泉内閣の構造改革政治によってリストラされ、また日々リストラに怯えている多くの労働者や国民がまるで「我が事」のようにことの本質を感じ取ったからだ。そして選手会がストライキを打ったことを契機にして、この問題は広い意味でこれから大きな政治的波紋を広げていくように思える。それは「ストライキ」という手段があることも長年忘れている労働者や国民に対して、ストライキの持つ問題解決能力や政治的効果をこれほど鮮やかに示した例はないからである。

  それにしても最近の(これまでもだが)読売新聞の論調は目に余る。社説を先頭にして全紙面が「改憲キャンペーン」で溢れている。これほどの右翼イデオロギー攻勢に対して、どうして護憲勢力は「読売新聞不買運動」を起こさないのか。「皆さまのNHK」も最近は不祥事の連続で相当株を下げているが、それ以上に憂慮すべきは政治番組の政府追随姿勢が際立つことだ。しかしNHKに対してはこれまでも度々「視聴料金不払い運動」が提起され、それ相応の効果を挙げてきた。そうだとすると、読売新聞に対して不買運動を提起しても何らおかしくない。私自身は個人的レベルでは一貫して不買運動を続けているが、これを社会運動化し、また護憲運動と連動して政治運動化するのも一考に値すると思うがどうだろうか。