9月10日
9月11日が三たび訪れようとしている。3年前にたまたまテレビの中継放送中に目撃したあの凄惨な光景は、いまでも私の目に焼きついて離れない。9・11以降、この3年間に生じた世界規模でのテロの広がりは想像を絶するものがある。いったいどうしてこんなことになってしまったのか、そんな思いを抱き続けながら3年間を過ごしてきた。
世界規模でのテロ拡散にあたって最も「貢献」したのがブッシュ大統領であることは、誰も異存ないだろう。だから、私はマイケル・ムーアー監督の「華氏911」をどうしても9月11日の前に見ておきたかった。もし日本で上映されないのであれば、アメリカに行って見ようとまで思っていたほどだ。そして昨日の9月9日、やっと念願叶って京都の弥生座でその機会を得た。会場は超満員かと思いきや、平日の最初の上映時間とあってか意外にも席は1/5ほど空いていた。観客は若者と高齢者が半々ぐらいでやや男性が多い。中年層が少ないのは勤務の関係でこの時間帯に映画館に来れないから当然だろう。
この映画の感想はもうさまざまなメディアを通して語り尽くされているので、幾つか感じた(考えた)ことだけを簡単に記したい。第1は、マイケル・ムーアーという人物の存在についてである。これほどの強烈な意思と実行力を持った人がアメリカの映画界に存在すること自体に、まず底知れぬ畏敬と感動を覚えた。前作の「ボウリング・フォ・コロンバイン」といい、今回の作品といい、そこに盛られたメッセージはまさにアメリカ社会(そしてアメリカ追随社会)の矛盾を直撃し、その病理を深くえぐるものだ。アメリカに内在する矛盾のあまりの大きさと深刻さが、その対極としてこれほどの巨大な(体つきも本当に大きい)人物を生み出すのだろう。
第2に、映画の導入部のブッシュ家とサウディアラビアの石油利権の結びつきの分析が興味深かった。後半の生々しい光景やインタビューに比べて、前半のこの部分はきわめて冷静かつ客観的に描かれているが、それだけに教えられるところは大きかった。ブッシュのイラク戦争の本質を理解するためには、このイントロ部分が不可欠であることがよくわかる。
第3に、ショットとして最も印象に残ったのは、「あなたの子どもをイラク戦争に行かせるか」として上下両院議員に肉薄したインタビューと、若いアメリカ兵の「ヘルメットに内臓された再生装置でCDを聞きながら銃撃戦をやる」とのくだりだ。戦争に賛成決議をした議員たちとその下で最前線に駆り出される下層社会の若者の階級的対比が、これほどまでに鮮やかに写し取られた場面はない。
最近、すぐれたドキュメンタリー映画や番組がめっきり減った。NHKの人気番組「プロジェクトX」にしても、最近は高度成長政策を支えた「会社物語」に次第に傾斜してきている。また人間ドキュメンタリー関係の番組も「人間」が強調されて「社会」は背景に退いている(だから「人間ドキュメンタリー」の銘打っているかも知れないが)。要するに真正面から日本の政治問題を取り
上げ、その実態の徹底的な暴露と分析をやるような気骨のあるプロデューサーやディレクターがいなくなってしまったのだ。そしてその一方でぐじぐじした筋書きの(どうでもいいような)「朝ドラ」が延々と放映されている。視聴者が主体的に番組を選択し、骨太の作品を期待できるような状況をどうつくるかがいま鋭く問われている。