8月30日
西安から第4信を送る予定だったが、終盤のスケジュールに追われて果たせなかった。遅れ馳せながら、帰国後の報告も含めて一応の区切りとしたい。
西安を離れたのは24日、その1日前の23日が閉幕式と表彰式、2日前の22日が学生たちの作品の公開審査だった。学生たちには優秀作品を表彰すると予告してあるので、問題はその評価方法だ。通常このような場合は、審査員が協議を繰り返して審査し、審査委員長が結果を公表する。審査を公開する場合もあるが、審査の中立性が保てないとか、どの作品を誰が推したのかが白日の下に晒されて審査員が嫌がるとかの理由で、非公開になるケースが多い。
実は、中国側も日本側も審査方法については充分協議していなかった。教員たちだけで審査し、学生たちには結果だけを公表するという従来のやり方が暗黙の前提になっていたように思う。しかし、私には考えるところがあった。それは、審査過程もまた学生たちの教育の一環だとする考え方である。徹夜徹夜の連続でそれぞれのまちづくり提案をまとめた学生たちの必死の努力に対して、その熱意に報いるためにも誰もが納得できる審査方法と審査過程を公開して、説明責任(アカウンタビリティ)を果たす必要があると考えていたのである。
このような考え方に至ったのは、阪神・淡路大震災の復興支援寄金の配分をめぐる体験が基礎になっている。周知の如く、阪神・淡路大震災に対しては膨大な義捐金が全国から寄せられた。ところが義捐金がいったん官僚機構の手に委ねられると、その配分方法をめぐって不毛の形式論議が繰り返され、折角の義捐金が必要なときに必要なところへ渡らないという弊害が生じた。アメリカのロスアンゼルス大地震や台湾大地震の復興支援の際に、被害の程度にかかわらず緊急支援金が被災者のもとに即刻届けられたとのとは大違いだ。そこで、私たちまちづくり専門家は自分たちで独自に寄金活動をして復興支援をしようと決意し、全国に関係者に呼びかけて数千万円の義捐金を集めた。これが、復興支援活動に従事するさまざまなボランティア団体に活動資金を提供する「阪神・淡路ルネッサンス・ファンド」(HAR基金、2001年解散)である。
問題は、誰に対してどのような方法でどれぐらいの義捐金を渡すかだ。配分される額は平均して年に1千万円程度に対して、希望するボランティア団体は数十団体、希望額は数千万円に達した。しかもそれぞれの団体は大小を問わず、真摯に被災地・被災者の救援活動、復興支援活動に取り組んでいて甲乙付けがたいものばかり。これを公正に審査して配分するなどおよそ不可能だと思われた。
審査委員長をつとめた私の結論は、以下のようなものだった。(1)どれもが切実でしかも質的に異なる復興支援活動をしている団体に対して、統一した基準で公平に資金を配分することは不可能だ。(2)十人前後の審査員の価値判断もそれぞれ異なる。(3)配分できる資金も限られている。(4)ならば、一人ひとりの審査員が自らの評価基準を公開して審査し、その総和として配分先と額を決めよう。こうして、考え出されたのが「公開審査」という方法である。
具体的には、(1)各ボランティア団体が支援活動の趣旨や内容、必要とする資金額などを3分以内で説明する、(2)それを受けて(事前に申請書は読んでいる)、各審査員が5個のシールを推薦したいと思う5団体の欄に貼る、(3)推薦多数の上位10団体を選び、各審査員がどのような評価基準で推薦したかを一人ひとり説明する、(4)出席している各団体から異議申立の発言を認め、正当な理由が認められれば順位変更など必要な修正を行う、(5)10団体の希望金額を集計し、合計額が配分予定額を超える場合は審査員の協議に基づき減額して配分額を決定する、というものである。
この公開審査で私が学んだことは、(1)各審査員の評価基準がそれぞれきわめて個性と含蓄に富んでいること、(2)評価基準が画一的でなかったとしても、それぞれの評価に対して納得できる説明が行われれば、各団体は充分に理解し共感しうること、(3)審査過程を通して各団体は他団体の活動や考え方を学び、自らの活動を振り返る機会を得ること、(4)そしてなによりも「公開する」ということが審査の透明性を保障し、審査員の責任と決意を示すという点で参加者の信頼を大きく獲得したというというだった。まさに公開審査そのものが、ともすれば熱意の余り独善的になりやすいボランティア団体の相互学習と経験交流の場として機能することになったのである。
やや前置きが長くなってしまったが、このようにして日中教員間で議論した審査方法を学生たちの代表に話したところ、彼らの了解も得られ、若干の修正の上次のような方法で公開審査を行うことになった。(1)各グループから日中学生各1人が各5分、ポスターセッション方式(作品パネルの前で見に来た人たちに制作趣旨や内容を説明する方法)でまちづくり提案のプレゼンテーションを行う。(2)審査員から各グループに対して必要な質問をする。(3)審査員6人が各3個、計18個のシールを作品に貼って上位3グループを選び、選考理由をそれぞれ説明する。(4)学生たちから質問および異議申立を受け付け、正当な理由があれば必要な修正を行う。(5)上位3グループの中から学生たちが1人1個のシールで最優秀作品を選ぶ。ただしグループによって構成人数に違いがあるので、大人数グループが少人数グループに対して有利にならないよう、最優秀作品と次点の差が大グループと小グループの人数差を超えないときは上位2グループで決選投票を行う、というものである。
私も含めて今回の審査で感じたことは、いずれの作品(コンピューター・グラフィックで制作した数枚のパネルと手作りの模型)もきわめて水準が高かったことだ。中国側教員の感想も学部卒業設計レベルよりはるかに高いというものだった。もちろん大学院生が多数参加しているということもあるが、言葉のハンディや制作時間の短さを考えると、やはり驚異という他はない。最優秀作品に選ばれたのは、かって詩人・王維が住んでいた西安郊外の保養地の計画で、山紫水明の自然環境を水墨画タッチのコンピューター・グラフィックで表現した斬新な発想と卓抜したスキルが評価された。次点2席は、城壁内の歴史的市街地の再開発計画および浄土宗発祥地である香積寺周辺整備計画である。前者は道路沿いの伝統的町並みの保存の是非をめぐって日中間で白熱の討論が交わされたと聞くが、結果は街路沿いの伝統的町並みは保存し、その代わり後背地の住環境をモザイク状の増殖型設計で更新していくという、中国ではこれまでにないユニークな発想のまちづくり提案となった。後者は、名所旧跡周辺の農村が俗悪な観光地に転化していくのを防ぎながら、観光収入と農業産品の販売で周辺住民の所得・生活向上を図るという真っ当なまちづくり提案で、個々の名所旧跡の保存だけで手一杯で周辺整備までは目が届かない現状の歴史地区保存整備計画に一石を投ずるものとなった。
私たちは24日に西安を発ち、25日に広州を見学して、26日に帰国した。この間、若干の体調を崩した学生もいたが(それも徹夜続きの寝不足が原因で)、全員無事で帰国できたことはこれほど嬉しいことはない。夜中の果物の差し入れなど、私たちの健康管理にきめ細かな心配りしていただいた中国側の好意に感謝するばかりだ。また23日夜の夕食会を含め、翌日の空港までの見送りに至るまで、両国の学生たちの友好関係は終盤になって頂点に達したようだった。同じグループで作業した学生たちは、相手が何を言おうとしているのか感覚的にわかるようになったとまで言っていた。一生の思い出に残るプロジェクトだとも言っていた。多分このことは中国側でも同じだろう。いやそれ以上かも知れない。とかく「エネロス」の感じしか残らない国際会議が多いのに対して、今回の学生中心の交流プロジェクトは日中双方に爽やかな印象を残して終えることができたと思う。
帰国後は一時メールや郵便物の整理に追われていたが、現在は再び元の生活に戻った。しばらくはボーとしていたいという気持ちもあるが、そうも言っていられないのが現状だ。さはさりながら、身心ともに「チャイナモード」を「ジャパンモード」に切り換えるには、しばらく時間がかかる
かも知れない。