8月15日
中国西安からの最初の記念すべき「つれづれ日記」(メール)だ。10日に西安に到着して以来、相次ぐ歓迎行事とフィールドワークの準備作業に忙殺され、落ち着いて日記を書く余裕すらなかった。それにメールの接続に思いの外手間取り、今日になってやっと接続が可能になった。でもこれからは瞬時に西安と京都がつながるのだから、世はまさに情報国際化の時代だとの実感を深くする。西安第1回目の今日の日記は、とにかくいくつかの印象を記すことから始めよう。
まず第1は,現在の中国国民の対日感情をどう見るかだ。訪中直前に重慶と北京のサッカー試合で観客の強い反日感情がクローズアップされたが、西安の雰囲気はまるで違う。我々が招待されてきているということもあるが、一般の人たちの表情や態度も大学関係者となんら変わることがない。日本人であることを十分承知したうえで温かく接してくれる。大学食堂のおばさんも市内の商店主のおじさんも全く同じだ。中国の学生たちにも念のため尋ねてみたが、彼らの感想は「一連の騒動の背景は、対日感情よりもむしろ国内問題にあるのではないか」というものだった。中国経済の急成長に伴う階級・階層格差、地域格差が急激に広がった結果、不公平・不平等に対する国民の不満感が国中に充満しているというのである。しかし政治集会や街頭行動は厳しく規制されているので、あのようなスポーツ大集会の場を利用して鬱積した感情が噴出するのだという。
そういえば、西安の街頭風景ひとつをとってみてもそのことはよく理解できる。ピカピカのドイツ車や日本車が結構たくさん走っているその傍で、大八車やバタコ(動力三輪車)を引いて野菜や果物を売っている真っ黒な顔の農民や、掃除道具を下げて路上でその日の仕事を待っている出稼ぎの人たちが大勢群れている。エリート層やホワイトカラー層との間には、多分所得で二桁から三桁ぐらいの格差があるのではないか。学生の年間授業料ひとつをとってみても農民の平均年収に匹敵するというのだから、農民出身の学生は本当に大変だ。家族は文字通り家計のすべてを子供の教育に注いで頑張っている。
それからもう一つ、西安の都市景観の印象についても述べなければならない。西安はいうまでもなく紀元前11世紀から10世紀までの2000年にわたって中国の都として栄えてきた名誉ある歴史都市だ。京都の平安京のモデルでもあり、その風格ある都市のたたずまいは他都市の追随を許さないものと思っていた。だが、しかしだ。歴史的市街地を取り巻く幅十数メートル・延長13キロの城壁は確かに威容の一言に尽きるが、それにしてもそこから広がる都市景観がひどすぎる。世界有数の歴史文化都市とはとても思えない。「西安は卵の殻だけのような都市」とは聞いていたが、まさかこれほどまで中身が壊れてしまっているとは思わなかった。歴史的住居である四合院建築の町並みははもうほとんど残っていないし、空海が修行した清龍寺は伽藍ひとつない廃寺同然の有様だ。浄土宗発祥の地である香積寺もやっと境内の整備が始まったばかりなのである。歴史的建造物や文化財の多くは、例の文化大革命の時代に徹底的に破壊された。その徹底ぶりは、知識人の書斎にあった書籍までが持ち出されて焼かれたほどだ。文化大革命は「文化大破壊」にほかならず、その傷跡は都市にとっては想像以上に深刻だ。
なぜこのような蛮行が発生したのか。文化大革命は政治的には大衆を巻き込んだ毛沢東による党内権力闘争だとされているが、このような破壊状況に直面してみると、なにか都市そのものを抹殺したカンボジアのポルポト政権に通じる「反都市・反知識文化」の匂いさえする。農民出身の紅衛兵を駆り立てたものは、とても毛沢東思想だけだとは思えない。彼らのおかれている劣悪な境遇と都市の生活文化との間にはあまりにも大きな格差が存在し、それを暴力的に解消するために「造反有理」という名目で都市や文化を破壊しただけのことではないのか。
だが都市に対する農民感情についてこのような解釈ができるとしても、現在の都市景観の惨状はこれだけでは説明のつかないものを感じる。ちょうど日本の高度経済成長時代のように、国家や都市の指導者層が経済成長を至上目的化し、都市を単なる経済空間としか見ていないのだ。空港と市域とは高速道路で結び、広大な郊外地域には工業団地や大学など大規模公共施設を集団的に立地させ、市内には超高層観光ホテルを林立させるというやり方は、かっての日本の都市計画を彷彿とさせる。そこには歴史都市西安が数千年をかけて培ってきた歴史環境資源を持続的に発展させていこうとする姿勢など毛頭見られない。これでは西安は「兵馬俑」の観光基地だけの都市になってしまう。
すでにその兆候は現れている。まず到着以来、澄みきった青空にお目にかかったことがない。最初は気象条件によるものかと考えていたが、どうやらその原因は家庭から出る石炭の煤煙と自動車の排気ガスにあるらしい。日本列島が公害のるつぼに化した1960年代後半の状況にそっくりだ。あのころ東京や大阪では連日光化学スモッグに悩まされていたが、そのときの情景が目の前で再現されている。また街なかを歩こうとしても、街路や歩道が未整備で安心して歩けない。いたるところが工事中で、しかも舗装を剥がしたままで放置されているのである。夜間はもとより昼間でも油断すると危険極まりない。幹線道路を横断するための信号や歩道もほとんど皆無といってよい。自動車がうなりを上げて疾駆する6車線の幹線道路を徒手空拳で渡ることなど、まるで濁流渦巻く大河に単身で飛び込めというようなものだ。今回のフィールドワークで中国側から最も強調されたのは、交通事故からどうして身の安全を守るかということだったが、「むべなるかな」というべきだ。これから中国は急速な高齢化時代を迎えるが、その時にこの都市は果たしてどんな都市になっているのか心配しないではいられない。
いま、世界中はオリンピックで沸き立っていることだろう。中国でも連日報道が続いている。しかしその一方で、科学教育番組が「探索、再現」という題で満州事変や日中戦争の番組を毎日放映している。NHKのドキュメンタリーといった感じだ。おそらく学校での歴史教育もこれと同様のカリキュラムが組まれているのだろう。私自身は旧満州(中国東北部)ハルビン市の生まれなので関心を持って見ているが、日本の学生たちは全く無関心のように見える。世代が違うといってしまえばそれまでだが、彼我の歴史認識にこれほどの落差があるとこれからが思いやられる。そういえば今日8月15日は日本が無条件降伏した「敗戦の日」だが、学生たちは誰一人として気づかなかった。いや気づかない振りをしていたと思いたい。
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