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7月30日
社団法人・部落問題研究所主催の第53回「人権と部落問題」全国夏期講座が、28日、29日の両日にわたって京都教育文化センターで開催された。第1日目は全体集会で上田勝美龍谷大学名誉教授の「今、日本国憲法にかがやきを」と題する記念講演があり、第2日目は5分科会と1講座の構成で、私は第1分科会「同和行政終結と住民の自治・自立」の基調報告者として参加した。
いうまでもなく(社)部落問題研究所は、創立56年の歴史を持つわが国で最も伝統のある部落問題・人権問題に関する研究機関であり、戦後の部落運動の中で果たしてきた理論的・実践的役割は計り知れないほど大きい。その輝かしい業績は、朝日新聞社から「朝日賞」を受賞するなど社会的にもきわめて高い評価を受けてきたし、部落問題に関する出版物の数もおびただしいものがある。とりわけ歴史学・教育学分野での研究水準が高く、「この種の研究機関の中で、文科省の科研費を受けることができるのはわが研究所だけ」と成沢理事長が誇らしげに開講の辞を述べているほどだ。
しかしながら、このような輝かしい伝統と実績を持つ部落問題研究所の夏期講座にしては、私の参加した第1分科会に限っていうと(他の分科会のことは知らない)、今回の討論水準・運営水準は信じられないほど低い(酷い)ものだった。かっての夏期講座や研究集会の白熱した討議や到達水準を知っている私にとっては、なぜこれほどの壊滅的状況が発生したのかまったく理解できない。
具体的に言おう。決定的だったのは、分科会運営のシナリオがまったく出来ていなかったことだ。通常、分科会は特定のテーマを掘り下げるために報告と討論が組織される。今回は「同和行政終結と住民の自治・自立」という、いわば戦後の部落運動の総決算ともいうべき重大なテーマがそれだった。同和行政は本当に終結したのか、同和地区住民は本当に自立し、自治能力を獲得したのかという部落問題・同和行政の根本に関する重大なテーマである。そしてその達成度・到達水準からみて、3自治体の報告が用意された。政令指定都市でかつ全国最悪ケースの京都市(広原)、地方都市で同和行政終結に向かって奮闘している大阪府和泉市(早乙女市議)、そして名実ともに同和行政を終結させ、部落問題の発展的解消に成功した和歌山県吉備町(井上前助役)である。
ここまではよかった。だが、それぞれの報告が終わってからの司会運営が本当にひどかった。報告のレジュメは早くから提出されていたにもかかわらず、分科会運営の責任者と司会は、このレジュメに基づいてその後の討論をどう組織するかのシナリオを全く考えていなかったのだ(としか思えない)。分科会を成功させるには、レジュメの中から幾つか中心的論点を設定し、それに向かって参加者の発言をどう引き出して議論を煮詰めていくのかという綿密なシナリオが不可欠なのに、である。
だから分科会の基調となる3報告が終わってからも、それとは直接関係のない各地の報告がダラダラと続くという破目になった。しかし司会は発言の時間制限をするわけでもなく、また議論をリードしようとする素振りも見せない。やたらに休憩をとる「時間係」に徹しているだけだ。これでは各地の生情報を聞いているだけで、それをどのように分析し、当初の問題提起と組み合わせてどのように議論を深めていくという、本来の分科会の役割が全く無視される恰好になっている。おまけに報告者の中には、報告のかたわら会場の参加者にカンパ袋を回して募金を呼びかけるという挙に出た人があった。私は長年この種の講座や分科会の助言者をやってきたが、このような「場をわきまえない」行動に接したのは今回がはじめてだ。また司会がそれをいっこうに止めようとしないのにも心底驚いた。この人たちはいったい闘争集会・運動報告会と研究集会・講座の区別すらもわかっていないのだろうか。
私の問題提起は、(1)京都市における同和行政も解同運動もいまや劇的に破綻している、(2)それは何よりもこの10年間で同和地区人口が1/3も減り、中でも30〜40歳台世帯主の6割、10〜20歳台青年の5割、就学前児童の4割、小中学校児童・生徒の6割が同和地区外に流出したという冷厳な事実にあらわれている、(3)これは30年間にわたって3千億円を超える巨費(同和地区1世帯当たり7千万円)を投じてきた京都市の同和行政が「住み続けられない地域」をつくり出した結果である、(4)にもかかわらず京都市と解同はこのような事態を直視することなく、同和地区を永続的に維持するために、「まちづくり」という名の改良住宅建替事業、「NPO活動」という名の同和地区施設の委託管理事業をこれからも推進しようとしている、(5)いまや部落問題の中心は「差別問題」ではなく「解同の同和利権・行政私物化問題」であり、同和行政への途方もない財政支出によって市民生活への基礎的サービスが犠牲になっている、(6)解同がこのような一種の「利権マフィア」へと転化している以上、これに対抗する運動は局部的な全解連運動の域にとどまらず、情報公開と不正追求を機軸とする「市政刷新運動」を全市民的レベルで展開しなければならない、というものである。
残念ながら、私の問題提起は分科会で深められたとは到底思えない。しかし滋賀県市町村の参加者からは同種の問題意識も若干出されるなど、それなりの意味はあった(と考えたい)。でもこんなレベルの分科会には「二度と出たくない」というのが終わってからの偽らざる心境だ。
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