つれづれ日記
7月16日

  3日間、大学時代の陸上競技部同窓生と富士山麓の山中湖畔で過ごした。半年前からの約束だ。私たちの学年は10人、愛称を「バカモンブラザース」という。監督に絶えず「バカモン」と罵られながらも猛烈なシゴキに耐えたので、そういう名前をいただく栄誉に浴した。今の時代なら、監督は「動物虐待」で起訴されること請け合いだろう。それほどの猛練習の連続だった。だから仲間内の結束は固い。単なる友人関係というよりは「同志」に近い心情で結ばれている。昔なら「戦友」というところか。大げさに言えば、生死の境を超えて互いに生き延びてきたような感じがするからだ。

  思い出話もあることはあった。しかし話題の中心は、「リタイア後のライフスタイルをいかに確立するか」だった。それぞれが最近相次いで現役を終え、新しい生活にどう対処するかを迫られているからだ。「犬の散歩とゴルフ三昧」という定番コースもあることはあるが、それだけで満足する連中ではないので必死にもがいているわけだ。

  中には、すでに第2の人生の進路を確定したのもいる。うちひとりは、在職中から中国語の勉強をはじめて残留孤児などの支援活動をしていたが、これからは(妻の反対を押し切って)中国に渡って日本語教師をするそうだ。一方、趣味を活かした進路選択もある。日本棋院の有資格(5段)をとってアマチュア指南をするというのや、短歌結社の中心スタッフとして全国のメンバーの連絡役に忙しいのもいる。だが私にとっては、首都圏の郊外住宅地で環境ボランティアをやっている奴の話が面白かった。

  彼の言によれば、退職後のボランティア活動に向く人間と向かない人間がはっきり分かれるそうだ。向かないのは職場思考をそのまま引きずっている会社人間、それから激しい競争社会の中で「燃え尽きてしまった」人だ。前者は縦型社会の中でトップになった人が多いので、肩書にとらわれない地域社会やボランティア活動の中の人間関係にはなかなか馴染めない(我慢がならない)という。人に仕えられ、人に命令することに慣れてきた人間を改造することは至難の業なのである。後者は文字通りの「燃え尽き症候群」(バーンアウト・シンドローム)の人たちで、この症状が退職後にも影響している(むしろ本格化している)と知って驚いた。職場で使い捨てになるだけでなく、退職後の生きていくエネルギーまで奪われるとなれば、これは高齢社会の人生にとっては一大事といわなければならない。

  それではどんな人が向いているかといえば、能力を持ってはいるが威張らない人である。組織でいえば、「そこそこのポスト」にいた人材がよいという。会社でも役所でもトップ級になるとそれほど能力は変わらないから、トップになるのもならないのも運次第だ。肩書が少ないからといって能力が決して劣るわけではない。むしろ肩書が少ないだけ人柄が謙虚になれるし、余力を残しているから長持ちもする。そんな人が本気になってリタイア後に地域活動やボランティア活動をやるようになると、地域社会が見違えるように活性化する。

  だが、このような人材を発掘する前に立ちはだかるのが「奥さんの壁」だ。地域社会にはすでに「女性コミュニティ」が出来上がっている。そこへ男性が参加してくると摩擦が生じるし、地域組織の構造改革も必要になってくる。そのためのコスト負担を恐れる奥さん連中によって、夫たちが家に閉じ込められるのだという。そうなると男たちは「1日3回の犬の散歩」で時間を潰す生活を余儀なくされることになる。これは男女共同参画社会を実現していく上でも困るし、また人材の有効利用という点でももったいない。だから彼の目下の最大の仕事は、奥さんの壁を突破して男たちを引きずり出し、「真のバリアーフリー社会」を実現することにあるのだそうだ。

  最後にもうひとつ。メンバーの中の一人が身障者になっている。筋肉が次第に衰えていくという難病だ。もはや歩行器なくしては一歩も歩けない。この君と3日間の生活をともにして、バリアーフリー空間の重要さを一同痛感した。最近の建築や周辺は歩行路が整備されているが、古い建物や施設にはまだ充分に整備されていない。3人がかりでサポートしたが、身障者が移動することがいかに大変か、またいかに重要かを知った。これからのライフスタイルを考えるにあたって、一人暮らしの彼が食事をつくり、西宮市から京都の大学まで一人で聴講にやってくる生活をこなしながら、なおパソコンや電話を駆使して連絡を絶やさない気力と努力に教えられることが大きかった。彼の明るい表情と張りのある声がいつまでも消えることのないことを心から祈った。