つれづれ日記
7月12日

  参議院選挙の結果が判明した。新聞・テレビなどいろんなマスコミの論評に一応目を通してみたが、なんとなくピッタリくるものがない。いったい自民党が「敗北」したというけれど、公明党の議席をあわせると与党は安定過半数を確保していて、選挙前とそれほど変わらない。一方、民主党に対しては「大躍進」という大見出しが踊っているが、詰まるところは共産党の議席が民主党に移動しただけの話ではないか。民主党は自民党に勝利したというよりは、共産党の議席を奪うことでその本領を発揮したというべきだろう。

  今回の参議院選挙の性格を一口でいえば、それは小泉政権に対する国民的批判の高まりを逸らす「ガス抜き選挙」だったということだ。これまでの選挙でも自民党政権に対する国民の不満や批判が高まってくると、党内の反主流派への表向きの「政権移動」によって「目新しさ」を打ち出し、自民批判の矛先を巧みにかわしてきた。そしてその都度、新政権の提灯持ちをしてきたのがマスコミだった。だが、自民党内での派閥次元のすげ替えもだんだん効かなくなってくるに及んで、最後の切り札として出してきたのが「変人」といわれ、「自民党をぶっ壊す」と叫んで登場した小泉政権だったのである。

  でも考えてもみたい。自民党に担がれ、森派の一員として派閥活動に励んできた小泉氏がそもそも自民党をぶっ壊せるはずがないではないか。自民党はもとより森派からも離脱しようとしない小泉氏の実態(正体)をキチンと報道しないで、さもそれが可能であるかのような子供騙しの記事を書いてきたマスコミは、本当に国民を馬鹿にしていると思う。今朝の全国紙の中にも「小泉バブル」が消滅したという記事があったが、「小泉バブル」をつくり出したのはいったい誰か。それをまったく棚上げにして「よくいうよ」「よく書くよ」と思わずにはいられない。

  マスコミは「社会の公器」「社会の木鐸」だといわれる。木鐸とは「世人に警告を発し、教え導く人」のことだ。そこまでの過剰期待は無理だとしても、せめて「事実」ぐらいは「ありのまま」に伝えてほしい。だが昨年の衆議院選挙そして今回の参議院選挙での報道振りは、小泉政権の不評と限界に直面したマスコミが、その事実(真実・本質)を指摘することなく、国民の不満・批判を表面的にすくい取って「ガス抜き」し、次の政権へ橋渡ししようとする明白な意図に満ち溢れている。ただ従来にない若干の「新味」があるといえば、それは自民党内の政権移動ではなく、民主党という別の政党への「政権交代」である点ぐらいだ。

  民主党の政策・マニフェストが自民党と「似た者同士」だということはすでに書いた。しかしそれ以上に、民主党議員自身がまさに自民党と「似た者同士」あるいは「自民党そのもの」ではないのか。党首の岡田氏や藤井幹事長、そしてその指南役の小沢氏たちが生粋の自民党員だったことはいまさら説明の必要もない。見方を変えていえば、自民党が国民の批判をかわすために「民主党」という新派閥を結成し、そこに「政権交代」と称して政権を移そうとしているだけではないのか。

  今朝のワイドショーで、あるマスコミOBが「今回の選挙で読売・産経は自民党応援団、朝日・毎日は民主党応援団にはっきり分かれた」と発言していた。この分類に従えば、日経は「二股応援団」というところだろう。世界でも屈指の発行部数を誇る全国紙とその系列テレビ会社(NHKも含めて)が挙って国民の政治選択肢を保守2大政党の枠内に流し込むような情報環境の下では、今回の選挙は「マスコミ主導選挙」といえないこともない。世論を映すのがマスコミの本来の役割のはずだが、現実は逆様で、「マスコミが世論を染め上げる」ような事態になっていることに強い懸念と不安を抱かざるを得ない。

  わが国にも政治実態を正確に分析し、国民に的確な判断材料を提供する「クオリティペーパー」が必要だ。発行部数は百万部も二百万部も要らない。例え数十万部、いや数万部であってもオピニオンリーダーに影響を与えるような権威ある新聞メディアが欲しい。かっては総合雑誌がその役割を担っていたが、週刊誌や月刊誌では現在の情勢の推移には付いていけない。的確で迅速な報道を旨とする日刊紙を立ち上げてくれるような心あるジャーナリストはいないものだろうか。