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7月7日
あわただしい日々とはいえ、どうしても書いておかなければならないことがある。それは、いま全国の自治体で話題になっている「コミュニティ政策」のことだ。7月3、4日の両日、宝塚市と関西学院大学で第3回コミュニティ政策学会が開かれた。コミュニティ研究のコア領域である社会学を中心に、政治・行政・福祉・環境・教育・心理・都市計画などの専門家が集まって結成した200人足らずの小さな学会だ。最近は理系・文系の垣根を超えた共同研究が盛んだが、これほど多領域の専門研究者が集まったのもめずらしい。加えて、自治体職員やNPO活動家も参加している異業種・学際的な学会なのである。
こんなに小さな学会なのに(といっては叱られるかも知れないが)、1日目の全体シンポジウムでは、なんと3人の大物首長が登壇してコミュニティ政策を論じたのには驚いた。全国知事会会長の梶原岐阜県知事、地元の井戸兵庫県知事、そしてコミュニティ政策学会の副会長を努める石田犬山市長だ。通常、コミュニティ政策といえば市町村行政の領域だ。県が直接関与することはほとんどない。にもかかわらず、知事が2人もどうして出席したのか。
理由はどうやら市町村合併問題が絡んでいるらしい。最近の自治体再編の台風の目になっている市町村合併問題では、周辺町村の側から合併後の地域社会を維持していく上で強い懸念が出されている。役場・小学校・農協・郵便局などの地域の中心施設が合併にともなって消えていくのでは、地域社会を維持していけない。過疎地域の挙家離村のような事態に追い込まれるのではないか、という不安である。
これに対して国から出されてきた回答は、合併しても地域にコミュニティが残るような方策を考えたい。多少の自治機能も併せて考えよう。そのためにも、都道府県は合併自治体のコミュニティ政策が充実するよう支援してほしいというものだ。これまで地方分権をめぐる議論や市町村合併問題でコミュニティ政策など俎上に上がったことがないというのに、ここにきて急に喧伝されるようになってきたのである。
それからもう一つの背景として、大都市でも最近はコミュニティ行政が大いに推奨されるようになったことがある。例えば政令指定都市の福岡市では、今年の4月から、これまで30有余年にわたって行政末端機構としてフルに利用されていた報酬付きの町世話人制度(町内会長が兼任)を全面的に廃止し、各小学校区ごとに地域横断的なコミュニティ組織(校区単位の自治協議会)づくりを通してまちづくりを推進することになった。そのため区役所には地域支援部を新設し、公民館を教育委員会から区役所へ移管してコミュニティ活動拠点として模様替えし、新しい規約をもつ自治協議会(従来の町内会の焼直しではない)には、地域の主体的なまちづくり活動を支援するための補助金(200〜300万円)を一括して交付することになった。世話人報酬を「終身生活給」として考えていた町内会長の大半はこのコミュニティ行政には反対だったというが、新市長が押し切った形でスタートしたという。
問題はこのような事態とケースをどう評価するかだ。市町村合併が行政効率視点からの自治体リストラ政策に間違いない以上、基礎自治体の自治機能を踏みにじっておいてなにが今さらコミュニティ政策かと批判することは正当だ。また大都市においても公共施設の運営を安上がりにするため、民営化や民間委託の受皿として地域組織の再編に着手し、コミュニティ行政をスタートさせたとの見方も成り立つ。これまで真面目な仕事をしてきた公務労働者や労働組合ほどこのような見方が強いに違いない。
しかしその主張が地域で受け入れられ、自治体行政を原則的に運営していけるような条件があればまだしも、市町村合併が強行されるとか、公共施設の民営化が否応なく推進されていくような場合には、「外からの批判」だけではもはや事態の進行に対応できない。地域社会や地域施設を維持するという仕事は「待ったなし」の仕事であり、拱手傍観を許されない仕事がほとんどだからだ。だからこそ多くの真面目な住民は、かってのような名誉職的意識でも権威主義的感覚からでもなく、コミュニティ行政に参加し、コミュニティ政策を積極的に展開しようと努力しているのである。
結論的にいうなら、このような良心的な人たちとの協働やコミュニティへの共同参加なくして地域の未来を担うことは難しい。地域社会を担い地域社会を変革しようと思うのなら、上からの呼掛けにせよ制度的な参加にせよ、先ずはその中に入ってみることだ。そして真面目で良心的な住民の考え方や行動様式に充分に学んでそのカルチャーを体得し、人間的なネットワークを地域で構築することだ。いま全国の津々浦々で展開されつつあるコミュニティ政策やコミュニティ行政は、そのための絶好の機会を提供していると思うがどうだろうか。
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