つれづれ日記
6月21日

  19日の午前午後、京都南部の文化学術研究都市にあるハイタッチ・リサーチ・パークの総合住宅研究所(積水ハウス)において、私が理事長を務めてきたNPO法人西山記念すまい・まちづくり文庫の理事会、総会、そして記念講演会が開催された。西山文庫の会員は現在440人、うち200人余りが学位(博士)をもつわが国有数の「すまい・まちづくりシンクタンク」だ、と自負し
ている。

  日本の建築計画学・住宅研究の創始者であり泰斗だった故西山夘三先生(恩師、京大名誉教授、1911〜94年)は、かねてより研究資料を何一つ捨てないことで知られていたが、没後に残された研究資料は家中に溢れんばかりで段ボール箱約600個に及ぶ膨大な量に達していた。この資料群の整理に弟子たちが丸10年取り組んできた成果が、現在の西山文庫なのである。資料の8割はほぼすでにデータベース化され、写真も数十万枚の中から選りすぐりの1万数千枚がパソコンに納められている。それらは江戸東京博物館、大阪住まいミュージアムなど全国各地の展覧会やマスコミ(朝日新聞、NHKプロジェクトX等)に提供されるなど、いまや専門家の間にはよく知られるライブラリーとなった。

  文庫の活動は多岐にわたっている。毎年決まって実施しているイベントには、まず第1に、全国の10数大学から建築・住居・都市計画関係の学生が100人程度参加する「夏の学校」がある。これは毎年テーマを設定し、それに相応しい場所で講義とワークショップを行うという現地学習型の学校だ。今年の夏は、長崎市(長崎総合科学大学、活水学院大学の協力)で9月14日から16日にわたって実施する(参加歓迎)。ちなみに昨年は沖縄県の那覇市(琉球大学)、一昨年は韓国のソウル市(ソウル市立大学、建国大学など)だった。

  第2が「すまい・まちづくりフォーラム関西21」だ。これはその時々の関心の高いすまい・まちづくりのトピックスに関して専門家が連続講義するというもので、大阪の梅田スカイビルを会場にして毎年春秋2回開催している。今年は秋に集中して、9月21日、10月5日、10月19日の隔週火曜日の午後に開催する予定だ。テーマは「木の文化で都市の再生は可能か」というもので、非木造建築で埋めつくされた現在の人工都市をもう一度木の文化で再生させることは出来ないか、その可能性を探ろうというものである。

  すでに講師も決まっている。9月21日は、地域風土を大切にするまちづくりプランナーの藤本昌也氏(現代計画研究所代表)、全国の歴史的伝統建築群保存地区指定などで活躍している苅谷勇雅氏(文化庁建造物課長)。10月5日は、阪神・淡路大震災の復興研究拠点である神戸大学防災安全研究センターの塩崎賢明教授ら。10月19日は、倉敷の古民家再生への長年の取り組みで建築学会業績賞を受賞した楢村徹氏(倉敷建築工房所長)、そして都市景観研究の第一人者の西村幸夫氏(東大都市工学科教授)である。いずれも全国トップ級の建築家・研究者で豪華版という他はない(来場歓迎)。

  やや前宣伝が長くなってしまっが、実は今日の日記でいちばん書きたいことの本命は、西川祐子氏(京都文教大学教授)の記念講演の内容なのである。西川氏は京大仏文卒で故桑原武夫氏の弟子、バルザック研究でパリ大学の学位を取られた才媛だ。文学者であることはもちろんだが、その研究は驚くほど幅広くて多彩な領域にわたっており、女性史研究、近代家族論、作家論そして住宅論にも及んでいる。私は以前から氏の著書や研究論文の熱心な追跡者であると同時に、幾つかの研究会やシンポジウムでも同席するなど折にふれてその謦咳に接してきたが、今回、記念講演にお招きしたいと考えたのは、氏が最近は住まいからニュータウンへと研究テーマを広げられていると聞き、ぜひともその研究成果を学びたいと思ったからだ。そして話は期待に違わず素晴らしい内容だった。

  要点だけをごくかい摘んで述べると、日本型近代家族とその住まいの研究において、氏は次のような主旨で「西川モデル」を提起する。(1)日本型近代家族とその容器すなわち住宅の研究において、家族と住まいの関係を「モデル」として把握することが有効だ。(2)戦前の家族モデルは「家」家族と「家庭」家族の(旧)二重構造、同じく住まいモデルは「いろり端のある家」と「茶の間のある家」の(旧)二重構造だった。(3)戦後の家族モデルは「家庭」家族と個人の(新)二重構造、同じく住まいモデルは「リビングのある家」と「ワンルーム」の(新)二重構造だ。(4)日本では家族モデルにおいても住まいモデルにおいても、政策によるモデル形成と学校教育や新聞雑誌を通じて行われる社会教育によるモデル普及が実態に先行する傾向にあった。(5)だが、国民はモデルチェンジがあるたびに強制を自発的に受け止め、しばしばモデルを超える現実を構築した。モデル伝播の速度と徹底度が日本型の著しい特徴だ。日本型モデルは官民合作だといわざるをえない。(6)日本型近代家族モデルと住まいモデルは二重構造を繰り返すことにより微調整を行い、葛藤は家族と個人の間にまかせた。(7)日本型近代家族モデルのキーワードは「家庭」である。「家庭」家族モデルは1920年前後に成立し、その変貌は現実がモデルに追いついた瞬間である1975年前後に始まる。その間を日本型近代の定着した時代と規定できるのではないか。

  内容もう少しを敷衍するとこんな風になる。明治以降に成立した戦前の日本近代家族は「家」制度を基本としていたが、その一方で次男三男の独立を比較的容易に認めて「家庭」家族の創出を許容するなど比較的柔軟な性格を有していた。もっとも本家である「家」家族はあくまでも太陽系の中心で、分家である次男三男の「家庭」家族はその周囲をまわる衛星のような存在だった(その意味では西川氏のいう「二重構造」は「二層構造」あるいは「二重連結構造」といったほうがよいかも知れない)。それに対応する住まいが「いろり端」に象徴される格式的な持家住宅と「茶の間」のある都市借家の二重構造だ。しかし戦後の新憲法とそれに基づく民法によって「家庭」家族が主流となると、その中の「個人」がアイデンティティを求めるという「新二重構造」が成立する。住まいもそれに応じて「リビング」のある郊外戸建住宅や団地住宅の実家と個室の延長線上にある「ワンルーム」賃貸マンションからなる「新二重構造」へ移行するというのである。

  この図式は、日本型近代家族と住まいの関係を巧みに説明していて大変面白い。また「新旧二重構造」モデルが、日本における近代家族の戦前から戦後にかけての定着プロセスと、1975年(団塊世代の結婚及び妻の専業主婦化がピークに達した時期)を境に始まった個人を基礎とする現代家族への変化を動態的に説明している点でも興味深い。しかしながらとりわけ私の興味を引いたのは、「家庭」家族をキーワードとする日本型近代家族の成立が1920年前後に始まり、1975年にいたって爛熟期を迎えたという西川氏の指摘である。このことは取りも直さず日本型近代化プロセスが約半世紀余りの月日を経て終了し、以降は個人を基礎とする現代社会化への道を歩み始めたことを物語っている。

  西山文庫ではいま「西山論研究会」を組織して、西山夘三の生涯をどう総括するかという出版プロジェクトに挑戦している。その中で「西山は徹底的な近代化主義者であった」との意見が住田昌二氏(大阪市大名誉教授、福山女子短大前学長)から出されている。端的にいえば、西山理論は近代主義からの貢献であったが、その限界もまた近代主義の枠内にあったとの指摘である。西川氏の指摘する日本の近代化期間と西山の研究生活がほぼ重なっているという事実は、このことを裏付ける歴史的発見であるかも知れない。得ることの多い1日だった。