つれづれ日記
5月31日

  少し前の話になるが、今月12日の夜、京都市の職員会館「かもがわ」で市連協(京都市職員連合部落問題学習会)の会合に出席した。「脱同和利権を掲げた市長選をたたかって」という題で講演を依頼されたのである。

  市連協の歴史は古い。結成は30年前の1974年7月、職場会議での保母の発言をめぐって発生した人権侵害(糾弾)事件を背景に、「部落問題を自由に語れる職場をつくろう」との合言葉で活動がスタートしたという。当時は大阪の矢田事件、兵庫の八鹿高校事件のように、自治体や学校での教職員の労働条件をまもるための発言や部落問題に関する意見交換すらが、部落解放同盟(解同)から「部落差別発言」として糾弾されるという異常極まりない事態が発生していた。その中で、市連協は自治体職場における自立的な職場部落研活動として、時宣に応じた学習会の開催、政策提言、乱脈同和行政を是正するための当局への申入れなど数々の活発な活動を展開してきた。

  市連協活動の他に類を見ない特徴は、このような糾弾闘争が荒れ狂っていた時代に部落出身者と一般職員が合同で学習会を組織したことにある。というのは、例の「足を踏まれた者でなければ差別の痛みはわからない」という解同の部落排外主義理論によって、部落運動は部落出身者によって主導(独占)されるようになり、一般の労働運動や民主化運動、住民運動や市民運動との断絶が次第に深まっていたからである。

  一般的にいって、部落問題が部落出身者に対する集団差別の形態をとるときは、当事者の集団行動によって問題状況を打開するといった局面もみられる。しかしそのような問題状況が基本的に克服され、差別解消が(部落出身者も含めて)市民ひとり一人の意識状況に委ねられるようになると、部落の垣根を超えた自由な交流や運動の存在が決定的に重要になる。なぜなら、個人レベルの感情や意識のあり方は集団行動や団体交渉で規制できるものではないからであり、部落内外の日常的かつ自由な住民交流と相互理解を通してしか醸成できないものだからである。

  しかしながら、解同はもとより全解連(全国部落解放連合会)においても部落出身者を中心とする組織方針や運動形態が選択されたことは、その後の運動の行方を著しく困難なものにした。それは、部落住民が一般地域との日常的交流を通して「普通の市民」として自立していく道を促すというよりは、「同和団体の一員」として団体交渉と行政依存の狭間で生活をするという独特なライフスタイルと意識状況を派生させたからである。

  この夜の市協連の会合で感じたことは、何といっても「発言が自由だ」ということだ。それに会の雰囲気が底抜けに明るいし、無条件で会話が楽しい。部落の垣根を超えた30年来の交流の成果が確かなものとしてそこに根づいていることが感じとれる。部落問題の「発展解消モデル」がまさに現実のものとして存在しているのである。

  それにくらべて、最近の市役所全体の雰囲気は依然として暗い。市長選挙後は同和補助金詐取事件もはや過去の存在となったような雰囲気で、処分されたはずの担当職員(解同も含めて)の多くが4月の人事異動で一斉に昇任したのだという。真面目な職員は「やってられない!」と怒っているが、市協連の面々は「だからこそ我々の出番はなくならないのだ」とますます意気軒昂だ。  なおこの日の講演会の要旨は若干加筆し、日記本文とともに「みんなで議論」の「同和行政・同和利権」のページに掲載していますので、忌憚なくご批判下さい。