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5月21日
15日から19日まで熊本に出かけていた。「くまもと地域自治体研究所」の第6回自治体セミナーの講師として招かれたからだ。与えられたテーマは、「姿を見せはじめた新しい地域の担い手〜京都市長選を通して感じたこと、思うこと」である。また熊本市長選挙と知事選挙の最大の争点となった川辺川ダム建設事業の現場をつぶさに調査する機会にも恵まれた。
実は、熊本と私の間には市民運動を通しての前史がある。研究所の中心メンバーの方々は30有余年前の「熊本市電を守る会」のメンバーなのだ。この方々は京都からわざわざ私たちを呼んで学習会を積み重ね、一部の路線は撤去に追い込まれたものの、全体としては市電を立派に守り抜いたのだ。また市交通局にも市民の声に耳を傾ける姿勢があった。なかでも当時の交通局長は、市民運動の主張を聞くや否や年休を取って自費でヨーロッパへ路面電車の調査に出かけるような見識のある人物だった(京都とは大違いだ)。京都では市電全廃を食い止めることができなかったが、私たちの市民運動は遠く熊本で生き返ったのだ。今回、ドイツの最新技術を取り入れたクリーム色の低床型路面電車(2輌連接)に乗ってきたが、運転手さんも車掌さんも誇らしそうで嬉しかった。
ところで、今回のセミナーが開催された背景には、熊本でいま生じている新しい政治変化と市民運動の動きがある。2002年11月の熊本市長選挙では、自民党を離党して立候補した若い県会議員の幸山政史氏が、市政刷新を願う市民の声を背景にしてオール与党推薦の現職を破った。また今年4月の知事選挙では、現職2期目の潮谷義子氏が広範な市民団体の推薦を受けて圧倒的な勝利を納めた。いずれもその中心的な争点が川辺川ダムの建設問題だった。
川辺川は日本三大急流のひとつとされる球磨川の最大の支流で、長さ62キロに及ぶ堂々たる大河川だ。上流には子守歌で有名な五木村があり、環境庁からは高知県の四万十川とならんで「日本一の清流」にランクされている。球磨川との合流地点であるJR肥薩線の鉄橋付近(人吉市)に立つと、ダムのある球磨川本流とダムのない川辺川の水質・水量の差が一目でわかる。都会では絶対に見ることのできない生命感が躍動している「心荒ぶる川」なのだ。この流域で長野県田中知事の「脱ダム宣言」のはるか以前から、「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」など数十団体の反対運動が広域的に組織され、農民・漁民を含めた力強い運動が取り組まれてきた。その集大成が1996年6月にスタートした「川辺川利水訴訟」である。
この訴訟は、川辺川ダムから水をひく農水省の土地改良事業(用排水事業)の計画変更手続きにおいて、土地改良法が規定する対象農家の2/3を上回る同意が得られたかどうかが最大の争点で、あったとする国となかったとする原告団(関連農家)が真向から事実関係を争うものであった。原告農家は熊本地裁判決(2000年9月)ではいったん敗訴したものの、福岡高裁判決(2003年5月)では同意書の偽造などが発覚する中で逆転勝訴判決が確定し(事実関係を争う判決については法律審である最高裁へは上告できない)、農水省は事業中止に追い込まれることになった。そしてダム全体の計画を管理する国土交通省も、事業目的のひとつである利水事業の計画変更の違法性が確定する中で、ダム計画そのものの再検討を迫られることになったのである。
この間の2つの大きな首長選挙において、幸山氏(市長候補者)はダム建設反対を表明することによって誰もが予期していなかった勝利を手中にした。また潮谷知事は就任直後(2000年4月)から「川辺川ダム建設には環境アセスが必要」との態度を明確にし、次いで2001年12月からは「国は事業の妥当性など説明責任を果たす必要がある」との立場から住民討論集会を開始した。また高裁判決以降は、ダム建設を前提としない利水計画の検討を重ねてきた。その環境重視の政策と市民世論を大切にする政治姿勢が有権者の大きな共感を呼び、市民や学生たちは積極的に公開討論会の開催などを通してこの争点を前面に押し出し、市民型選挙をたたかったのだという。
セミナー会場には、熊本大学・熊本県立大学・熊本学園大学など学生たちの姿が目立った。聞けば、市長選挙・知事選挙で活躍した若者たちだ。しかし、公開討論会ひとつを取ってみても決して自動的に開かれたわけではない。彼/彼女らが1万数千人に上る署名活動を積み上げてやっと実現させたのである。京都市長選挙でこのような争点をつくり出せなかったこと、そして若者や学生たちに政治の場を提供できなかったことなどの質問に答えながら、自省することしきりだった。 |
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