つれづれ日記
4月29日
  今日の午後、京都市の「ひと・まち交流館」で「京都市長選挙を振り返る〜”市民派市長選挙”の到達と課題〜」と題する学習会が開かれた。主催は、立命館大学の学生・OBでつくる「21世紀市民社会フォーラム」。報告者は、今回の市長選に「京都市長を選ぶ市民の会」のメンバーとして活躍した山本崇記君(立命大院生)、それに松尾教史君(同)である。山本君は「市民の会」の世話人としての立場から「全体総括」について報告し、松尾君はイラク派兵問題など平和問題に絞っての報告だった。詳しい内容は、近日、両君から寄稿してもらえる予定になっているのでここでは感想程度にとどめるが、率直に言って若者らしいもっと大胆な切り込みが欲しかった。

  山本君はこう言っている。「今回の市長選挙は期待も大きく勝利の要素もあったのに、期待は大きく外れ、大差での敗北になった。最大の原因は、京都市職労のいう『ブリッジ共闘』の試みが成功しなかったことであり、その要因として、現職の争点ズラシ、公明党の組織力、共産党の「衰退」、市民派の実態の無さなどが主体的な問題点として挙げられる」と。この分析は私の個人総括と共通する点が多い。しかし山本君に期待したのは、このような概括的な総括ではなく、「市民の会の実態の無さ」に絞った報告だった。

  同君は「市民の会」の結成にいたる前史として、「京都・水と緑をまもる連絡会」(1989年結成)及び「守ろう憲法と平和きょうとネット」(2000年結成)の活動を高く評価する。とりわけ京都における環境運動のパイオニア的存在である「水と緑をまもる連絡会」は、第1に住民運動・社会運動分野で未だセクト的な争いが根強く、運動体同士の連携が進みにくい時代状況のもとで、「共同行動をするには互いに一致点を模索し、自立的自主的な活動を尊重し、相互扶助・連帯をゆるやかな形で持続しつつ信頼を形成し、政治的には全方位をめざす」ことを確認して結成された共同と連帯を重視する組織であること、第2に環境問題を扱う市民運動がとかく「政治」から距離を置こうとするのに対して、明確に政治行動の必要性を主張していることの2点で高く評価している。そしてこれらの組織・行動原則は、今回の市民派選挙における構成団体の組織・行動原則でもあったのである。

  とすれば、「市民の会の実態の無さ」の原因はいったいどこにあるのだろうか。私の仮説は、同会がたとえ環境団体としての優れた実践経験を持っていたとしても、今回の市長選挙のような政治経験は皆無であったことから、市民運動団体としての力量を充分に発揮できなかったのではないか、というものである。言い換えれば、選挙運動は数ある政治活動の中でも独自の性格を持ち、またそのための独自の政治力学への理解が求められるにもかかわらず、住民運動・市民運動から無媒介的に選挙活動の行動原理を引き出そうとしたところに、市民の会の「不発」の原因があったとの解釈である。

  いずれ近いうちに市民の会でも本格的な総括が行われるであろうが、山本君も含めて私の仮説への説得力ある批判・反論を期待したい。なお本文は「みんなで議論!、京都のまちづくり(市民派とは!)」の頁にも掲載しました。皆様のご意見をお寄せ下さい。